山田長政とタイ
どうも、義貞です。
雨の日が続きますね。ああ、日本の梅雨。
明日は暑くなのだろうか。
さて、義貞は以前タイに住んでいたことがあります。
ご存知の通り、タイは東南アジアのインドシナ半島に位置する、だいたい日本から4000キロくらい離れたところにあるモンスーン気候の国です。
義貞はそのタイの首都にあたるバンコク市にかれこれ5年以上住んでいました。
バンコクでは働いていました。おいおいその話もしていきましょう。
タイのアユタヤには義貞の友人がいます。義貞よりもだいぶ前に渡泰している武士ですが、山田長政です。
この山田長政、タイ通には有名な日本人です。
時は17世紀のシャム(旧タイ)ではアユタヤ王朝が交易による繁栄によって絶頂期を迎えていました。その当時の日本では、朱印船貿易によってオランダや東南アジア諸国との貿易が盛んでした。
関ヶ原の合戦などで仕える主人を無くした武士たちは、自分の力を試すために海外へと飛翔していきます。
当時のアユタヤでは、日本人街が作られ、最盛期は3000人の商人や武士などの日本人がそこにいたと言われています。その中で頭角を現してくるのが山田長政です。
山田長政は傭兵として、数々の戦いに参加し、当時最強を誇っていたスペイン艦隊のアユタヤ侵攻を退けます、その功績から当時のソムタム国王(ソムタムってパパイヤサラダの?)から信任されて、王女を妻にもらい、タイの地でサクセスストーリーを駆け上がります。
最終的には、後継者争いに巻き込まれた挙句に毒殺されてしまい、日本街も焼き討ちにされてしまうのですが、山田長政のこの活躍は当時の日本人の海外での活躍を表すお話しとして受け継がれています。
義貞もタイに住んでいた時には数回アユタヤに訪れました。
アユタヤはタイの中でも気温がとにかく熱い。熊谷以上の暑さだ。
義貞は遺跡や歴史的な建造物が好きということもあり、アユタヤはかなり楽しめる。
そして、彼の地に以前活躍した武士がいたということを大変喜ばしく思うわけです。
東南アジア諸国が現在の高度成長によって再び以前の繁栄を取り戻してきている現状を思うにつれて、彼の地にチャンスを見出し海を越えてくる武士や商人が出てくるであろうと、しみじみ義貞は感じました。
以前テレビで見た沢木耕太郎の深夜特急を題材にしたドラマ「深夜特急アジア熱風編」も久々に見たくなる気持ちにさせてくれますね。
次回はそのアユタヤへの行き方をお伝えしましょう。
といってもアユタヤへの旅行は相当の数の日本人が行っているはずなので、
そんなに珍しいことではないですが、せっかくアユタヤに行くのであれば義貞としては鉄道をおススメします。
特にバンコクは今再開発が活発化していて、あのしょぼいけど味のある鉄道に乗ることができるのは、今しかないかもしれません。ですので、今からでも早く鉄道に飛び乗ってアユタヤへ行っちゃいましょうー。
義貞