義貞インサイト バンコク
どうも、義貞です。
今日は台風の影響で雨ですね。休みに雨になると外とに出たくなくなりますね。
今日はインドア義貞で過ごします。
さて今日はバンコクのビジネス街についてご紹介しましょう。
以前のブログでもご紹介した通りタイには7万人くらいの日本人が在住しています。
日本とタイの関係は、さかのぼると歴史が深く以前ご紹介した山田長政に代表されますが、当時は徳川幕府とアユタヤ朝の間でも献上品や書簡の交換などが行われていたようです。
当時はバンコク(タイ語ではクルンテープ)が首都ではなく、アユタヤが首都だったわけですね。バンコクに首都が遷都するのは、チャックリー朝になってからです。それまでのタイは度々ビルマ(現在のミャンマー)から侵攻を受けています。コンバウン朝ビルマはけっこう強いんですよね。
ビルマからの侵攻に対応して当時は、チャオプラヤ川より西側に首都がありました。今でいうトンブリ―の辺りが中心だったのです。タークシン朝であり、今でもウォンエン・ヤイに行けばタークシン王の銅像があります。
チャックリー王に代わってからはチャックリーの改革によって近代化を進めていき、中心街はシーロム通りのあたりに移っていきます。
現在のバンコクのビジネス中心街といえば、このシーロムです。
義貞としては、このシーロム地域がバンコクのお気に入りスポットです。
義貞としては、バンコク西側が好きということもあり、このシーロムが西側の拠点になるからです。バンコクにはアソークという中心的なビジネス街がありますが、義貞はアソークよりもシーロムの方が好きです。
タイは現在、タイランド 4.0を掲げ先進国化を目指して産業の高度化を図っています。
その際にEEC東部経済回廊という、産業の集積と物流の効率的な流れを促進する経済回廊を東部のチョンブリー地域に拡大させています。
なのでおそらく、人、モノ、カネの流れはバンコク東に移っていると思いますし、
実際にBTS(高架鉄道)は延線され、その路線沿いは凄まじい開発が進んでいます。
またチャオプラヤ川西側にはアイコンサイアムなる巨大モールが出現し、そこだけやたら煌びやかに光っているわけですが、義貞としては、チャオプラヤ川西のあの昔ながらのバンコクの風景の方がなぜか懐かしさを感じ好きです。
このバンコクの急激な都市化と昔ながらの風景のアンバランス感がすごい。
シンガポールのようになるのも悪くないけど、昔ながらのバンコクも残してほしいというような勝手な気持ちになる義貞です。
義貞