新田義貞と鎌倉
どうも、義貞です。
お盆休みをどのようにお過ごしでしょうか。
国内旅行、海外旅行、地元でまったりと色々お過ごしになられていることでしょう。
さて、今日は新田義貞と鎌倉について取り上げましょう。
前回の記事では、新田義貞が鎌倉を攻めこむ前の出陣の儀において、生品神社で挙兵したことはお話しました。
(義貞と生品神社)
https://midnight-express66.hatenablog.com/entry/2019/07/24/232527
生品神社で挙兵した後、弓矢を鎌倉方面に向けて放ちます。それは、今でも地元の小学校の行事として引き継がれています。
(地元の小学校の行事として伝統を引き継ぐ)
そして、この後の義貞は鎌倉に攻め込みます。
鎌倉の戦い(元弘の乱)が起こり、北条氏率いる幕府軍と新田が率いる反幕府軍の戦いとなります。
鎌倉幕府は迎撃の兵を挙げたものの、小手指原の戦い、久米川の戦い、分倍河原の戦いで新田勢に追い込まれ敗北していきます。
ちょっとそのあたり、義貞(私)も『太平記』を読んでいないので勉強不足です。ぜひここはもっと深く歴史を勉強していきたいと思っています。
この鎌倉の戦いに勝利した義貞ですが、誰のために戦ったかといえばそれは後醍醐天皇です。義貞は兵隊に過ぎません。その後、後醍醐天皇は建武政権を打ち立て、「建武の新政」を実行します。
この建武政権の紋章がかの菊紋なのです!
みなさんもパスポートを所有していればよく目にする紋章です。
この菊紋が入ったパスポートを持って海外に出るというのは気持ちが良い。こんな繋がりがあることに思いを馳せた義貞です。
義貞