義貞ブログ

義貞こと新田義貞は「太平記」にも登場する鎌倉時代の武将です。弓術に長け、義理人情に篤い義貞は鎌倉幕府の討幕に燃えます。ブログ内容は、自分の好きな歴史、旅行、ビジネス動向などについて書いていきます。

新田義貞と鎌倉

どうも、義貞です。

 

お盆休みをどのようにお過ごしでしょうか。

国内旅行、海外旅行、地元でまったりと色々お過ごしになられていることでしょう。

f:id:midnight-blue366:20190730204615j:plain

世良田東照宮

 

さて、今日は新田義貞と鎌倉について取り上げましょう。

前回の記事では、新田義貞が鎌倉を攻めこむ前の出陣の儀において、生品神社で挙兵したことはお話しました。

 

(義貞と生品神社)

https://midnight-express66.hatenablog.com/entry/2019/07/24/232527

 

生品神社で挙兵した後、弓矢を鎌倉方面に向けて放ちます。それは、今でも地元の小学校の行事として引き継がれています。

 

(地元の小学校の行事として伝統を引き継ぐ)

youtu.be

 

そして、この後の義貞は鎌倉に攻め込みます。

鎌倉の戦い(元弘の乱)が起こり、北条氏率いる幕府軍と新田が率いる反幕府軍の戦いとなります。

 

鎌倉幕府は迎撃の兵を挙げたものの、小手指原の戦い、久米川の戦い、分倍河原の戦いで新田勢に追い込まれ敗北していきます。

 

ちょっとそのあたり、義貞(私)も『太平記』を読んでいないので勉強不足です。ぜひここはもっと深く歴史を勉強していきたいと思っています。

 

この鎌倉の戦いに勝利した義貞ですが、誰のために戦ったかといえばそれは後醍醐天皇です。義貞は兵隊に過ぎません。その後、後醍醐天皇は建武政権を打ち立て、「建武の新政」を実行します。

 

この建武政権の紋章がかの菊紋なのです!

みなさんもパスポートを所有していればよく目にする紋章です。

 

この菊紋が入ったパスポートを持って海外に出るというのは気持ちが良い。こんな繋がりがあることに思いを馳せた義貞です。

 

義貞