義貞ブログ

義貞こと新田義貞は「太平記」にも登場する鎌倉時代の武将です。弓術に長け、義理人情に篤い義貞は鎌倉幕府の討幕に燃えます。ブログ内容は、自分の好きな歴史、旅行、ビジネス動向などについて書いていきます。

高山右近とマニラ

どうも、義貞です。

 

さて、今日も歴史の話になります。

義貞としては、日本、ASEAN、アメリカ大陸に興味を持っています。

というのも、日本人移民の歴史に興味があるからです。

 

よく「日本人は内向きだ」みたいに言われますが、現代を生きる私たちはそうかもしれませんが、先人の日本人たちはけしてそうではなく、逆に外向きで半端なくタフです。

 家族を食わせるために地球の裏側にも行きましたし、さらには船に乗っていってますからね。ハワイへの移民から始まり、アメリカ本土、ペルーやブラジルにも行っているし、中国東北部や東南アジアに移ってもいます。

時をさかのぼり戦国時代や江戸時代あたりも、南蛮貿易や朱印船貿易などでガンガン海外に行っています。そう考えると、先人たちはとてもグローバルに行動できる人たちだったのです。

 

 

さて以前、アユタヤへ渡った山田長政を紹介しましたが、今回はマニラに渡った高山右近をご紹介しましょう。

 

高山右近は摂津(現大阪)高槻城主として信長に仕えた後、秀吉配下でも武功をあげ、明石6万石の城主へと出世したキリシタン大名でした。

当時、信長などは比較的キリスト教に寛容でした。西欧から新しい技術や物品を持ってきてくれることもあり、布教者たちを歓迎していました。

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高山右近の像

 

歴史でならうフランシスコ・ザビエルなどが日本にやって来てキリスト教を布教させていきます。しかし、秀吉が権力を手にした後は状況が変わります。刀狩なども含めて、自分に反対する勢力というのは権力の脅威になるものです。布教が進んで、信者たちが従わなくなることを恐れます。

 

さらに江戸に時代が入ってからは「島原の乱」のような大規模な一揆が起こったこともあり、キリスト教徒たちは追放されてしまいます。高山右近もそうでした。

 

長崎はキリスト教の場所として有名ですが、貿易の場所としてもそうであり、当時は長崎から海外へと旅立っていきました。高山右近も長崎からフィリピンへ向かい、熱心なキリシタン大名としてマニラで大変な歓迎を受けたようです。

 

フィリピンはマレー民族でイスラムの強い場所でしたが、マゼランが航海でやってきてスペインに植民地支配されてからはキリスト教が布教しました。今でも90%の国民は熱心なキリスト教徒として有名です。

 

フィリピンの首都マニラの名前はマニラ麻から来ており、経済的に重要視される繊維作物でした。そういうこともあり、当時のマニラにもアユタヤ同様に日本人街ができていたようです。

 

歴史というのは面白い。アユタヤへ飛翔した山田長政がいれば、マニラへと追放される高山右近のような武将もいたわけですね。

 

義貞としては、これからも歴史をフォローしていきたいと思っています。

 

義貞

 

新装版 高山右近 (講談社文庫)

新装版 高山右近 (講談社文庫)

 
完訳フロイス日本史〈4〉秀吉の天下統一と高山右近の追放―豊臣秀吉編(1) (中公文庫)

完訳フロイス日本史〈4〉秀吉の天下統一と高山右近の追放―豊臣秀吉編(1) (中公文庫)

 

 

 

 

新田義貞と東照宮

どうも、義貞です。

 

7月も終わりが近づいてきました。休日の暑さはほんとにつらかったですが、8月に入ってもこの暑さが続くかと思うときついですね。

 

 

 

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さて、今日もまた義貞と徳川の不思議な縁について話しましょう。みなさん東照宮といえば思い浮かぶのは有名な日光東照宮でしょう。家康本家の愛知にも名古屋東照宮がありますが。

 

しかし、なんと東照宮は群馬県太田市世良田という場所にもあるのです。

そしてその「世良田東照宮」こそが、徳川発祥の地(?)とされているのです。

 

まあネタばれ的には徳川発祥の地はもちろん愛知の三河なのですが、世良田東照宮の謎は、戦国時代からある「系図買い」なるものです。

 

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世良田東照宮

源平の戦いの頃から武士というのが政に関わるようになる日本の歴史ですが、鎌倉幕府以降、源の氏はかなりのネームバリューだったようで、歴代的にもそのバリューを引き継ぐことがMustだと考えられていたようです。

 

 

 

 

 

もともと、私義貞の家名は新田なのですが、新田家の始祖、新田義重は源の家系を継ぎ、さらには足利氏とも繋がっています。新田家八代目が私、義貞であり、鎌倉幕府を打倒したことはご存知の通り。

 

新田家の祖新田義重の四男義季は、世良田の地と共に、隣の得川郷を領土としたことから得川義季と名乗ったそうです。もともと徳川家康の旧姓は松平であり、源の系図を引き継ぐために、「系図買い」で得川→徳川を名乗ったとそうなのです。

 

ということで、徳川につながる世良田東照宮なるものがあるのです。

詳しく知りたい方は新田家の歴史を知ることができる『新田荘歴史資料館』を訪れてみてください。

 

ということで、愛知と縁を感じる義貞です。

 

義貞

 

 

義貞旅 ベトナム・ハノイ

どうも、義貞です。

 

今回は義貞の好きなベトナムについて紹介しましょう。

ベトナムはインドシナ半島にある南北に伸長する国です。北部は中国と国境を接していて、国全体の人口は9000万人以上を超え、若年層の割合が高い今注目される国です。

日本でベトナムは何度か投資ブームになりました。

チャイナ+1として企業の進出先としてまず2007年頃。

日中関係が悪化した2012年頃。

そして、米中貿易摩擦が激化する現在といったところでしょうか。

 

ベトナムと中国の歴史も深いだけに、やはり中国との比較で語られることが多いですね。

 

そんなベトナムは、義貞のお気に入りの国の一つです。

まずベトナムの食べ物が日本人の口に合うというところがあると思います。

フォーやブンチャーのように米の麺を使用しており、味も比較的にさっぱりしています。

 

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ベトナム人が朝食として食べるフォー

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ランタンが飾ってあり中国っぽい

ベトナム北部の中心都市、ハノイは漢字では河内と書くように、ソンホン川の内側に街があります。

 

1000年の歴史を持つといわれるこの都市は、南部のホーチミン市と比較すると近代的な商業施設やビルが少なく、沸き立つエネルギーというよりも、内に秘める強さを感じる都市です。

 

ハノイは義貞が好きな都市であるため、少しずつ紹介していきたいと思います。

 

(続く)

義貞

義貞インサイト バンコク

どうも、義貞です。

 

今日は台風の影響で雨ですね。休みに雨になると外とに出たくなくなりますね。

今日はインドア義貞で過ごします。

 

 

さて今日はバンコクのビジネス街についてご紹介しましょう。

以前のブログでもご紹介した通りタイには7万人くらいの日本人が在住しています。

日本とタイの関係は、さかのぼると歴史が深く以前ご紹介した山田長政に代表されますが、当時は徳川幕府とアユタヤ朝の間でも献上品や書簡の交換などが行われていたようです。

 

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バンコクのスカイライン

当時はバンコク(タイ語ではクルンテープ)が首都ではなく、アユタヤが首都だったわけですね。バンコクに首都が遷都するのは、チャックリー朝になってからです。それまでのタイは度々ビルマ(現在のミャンマー)から侵攻を受けています。コンバウン朝ビルマはけっこう強いんですよね。

 

ビルマからの侵攻に対応して当時は、チャオプラヤ川より西側に首都がありました。今でいうトンブリ―の辺りが中心だったのです。タークシン朝であり、今でもウォンエン・ヤイに行けばタークシン王の銅像があります。

 

チャックリー王に代わってからはチャックリーの改革によって近代化を進めていき、中心街はシーロム通りのあたりに移っていきます。

 

 現在のバンコクのビジネス中心街といえば、このシーロムです。

義貞としては、このシーロム地域がバンコクのお気に入りスポットです。

 

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シーロムにそびえるマハナコーンタワー

義貞としては、バンコク西側が好きということもあり、このシーロムが西側の拠点になるからです。バンコクにはアソークという中心的なビジネス街がありますが、義貞はアソークよりもシーロムの方が好きです。

 

タイは現在、タイランド 4.0を掲げ先進国化を目指して産業の高度化を図っています。

その際にEEC東部経済回廊という、産業の集積と物流の効率的な流れを促進する経済回廊を東部のチョンブリー地域に拡大させています。

 

なのでおそらく、人、モノ、カネの流れはバンコク東に移っていると思いますし、

実際にBTS(高架鉄道)は延線され、その路線沿いは凄まじい開発が進んでいます。

 

またチャオプラヤ川西側にはアイコンサイアムなる巨大モールが出現し、そこだけやたら煌びやかに光っているわけですが、義貞としては、チャオプラヤ川西のあの昔ながらのバンコクの風景の方がなぜか懐かしさを感じ好きです。

 

このバンコクの急激な都市化と昔ながらの風景のアンバランス感がすごい。

シンガポールのようになるのも悪くないけど、昔ながらのバンコクも残してほしいというような勝手な気持ちになる義貞です。

 

義貞

 

 

歩くバンコク2019-2020 (メディアパルムック)

歩くバンコク2019-2020 (メディアパルムック)

 

 

名古屋名物 味噌煮込みうどん

どうも、義貞です。

 

今日も暑かった。義貞、基本的には屋内で仕事している人間なのですが、

とにかく汗をかく。電車で通勤するだけで汗だくな日本の夏。

 

その暑さの中で、今日も食べちゃいましたよ、味噌煮込みうどん。

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味噌煮込みうどん

いや、普通にこの写真見るだけで熱そう、というか暑くなる。

 

しかし、最近愛知県に越してきた義貞としては食べずにはいられない。

徳川氏とか織田氏が食べてきたものを食べずにはいられないだろう。義貞としては。

しかも、名古屋(愛知)の味噌煮込みうどんは本場だけあって、全然違う。

 

まず、味噌が濃い。この濃さがたまらない。

 義貞としては最高に旨い。うますぎる。お揚げに良い塩梅で味噌がしみ込んでいる。

この味噌の濃さが苦手という人がいるようだが、義貞としてはマッチングした。

ありがとう、徳川殿。

 

そして、次にうどんの堅さが良い。堅めの麺、ほぼ生の麺が入っているのだが、これも義貞にはヒットした。義貞は基本的には、うどん派なのでうどんが好きだ。

この堅めの麺も良い感じで味噌とからまっていて、素晴らしい。これがつけ麺とかであればまずいだろうが、煮込みなので全く問題ない。

Thanks Mr.Tokugawa, Cheers.

 

そして、やはりご飯と漬物も一緒に添えられるところも、Fabulous!

普段、うどんと白飯を一緒に食べることはないだろう。カレーうどんの時くらいだろうが、味噌煮込みうどんとなら白飯がガツガツ進む。

 

なんだろう、この濃い味噌のスープと白飯のコンビネーションは。

いや、たしかに義貞は味にうるさくないとはいえど、名古屋の味噌煮込みうどんの味は抜群だと思う。この暑さの中でも何度も足を運んでしまう。

 

これからも名古屋で美味しいものを食べていきたい。

飯を食わねば戦はできぬというやつ。

 

義貞

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

義貞旅 バンコク

どうも、義貞です。

 

前回は義貞が挙兵した生品神社を取り上げました。

義貞、歴史に興味がありますし、城や刀、神社や寺といったものに関心が強いです。

今週末は愛知県内の神社に行ってみようと思っています。

 

さて義貞は日本の伝統も好きですが、海外旅行が好きです。

義貞イングリッシュを駆使して色々な国に行ったし、今も行きたいと思っている。

 

そんな義貞が長く居たのがタイのバンコク。

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ルンピ二公園から見るバンコクの高層ビル


バンコクの紹介はいくらでもできるのだが、

タイ・バンコクは日本人移住者も旅行者もたくさんいるので、それこそ情報は山のようにある。

 

今更ながら義貞が紹介するまでもないというか、バンコクネタはどこにでもある。

というか、今やバンコクには日本人の俳優や歌手やアイドルやYoutuberさえいる。

バンコクはもはや(リトルというには大きいので)ミドル東京になっているので面白くないのだ。

 

そこをマイニングしていくよりも、義貞としてはカンチャナブリーやマハチャイ、フアヒンからミャンマーへと西側へと行く方向が面白い。というのも、バンコクから西方向に向かう日本人は少ないからだ。

 

前の記事でカンチャナブリーを取り上げたので、次回はミャンマーに行った時のことを話したいと思う。

 

インドシナ半島で今はタイ、その中でもバンコクが経済的に今は一人勝ちの状態ではあるが、これからもそうとは限らない。ベトナムやミャンマーが義貞としては注目株なのだ。

 

そんな大経済都市のバンコクであるが、日本との歴史的なことを言えば、小説「メナムの残照」をおススメしたい。(てか、あれ舞台バンコクだっけ?)

タイ語ではクーカム(運命の人)という題名であるが、この小説はタイでも非常に有名で何回も映画化やドラマ化されている。

メナムはタイ語で川という意味なので、まあタイで川と言えばチャオプラヤだからバンコクだな。

 

コボリという日本兵がタイに駐留している間にタイ人女性との恋に落ちる小説なのだが、義貞としては最新版の映画よりも80年代の頃のものが良い。(80年代の映画って味がある)

 

タイの映画として普通に面白いので見てみるとよいでしょう。

 

義貞

 

 

メナムの残照 (角川文庫)

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王国への道―山田長政 (新潮文庫)

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義貞と生品神社

どうも、義貞です。

 

さて、今日は義貞の故郷の話もしましょう。

 尾張の徳川と縁のある新田義貞ですが、新田氏は上野の国(今でいう群馬県)の生まれです。

 

今でも新田町なる町があります。豪族の家系に育った義貞は、悠久の利根川で水練に励み、弓術に長けていたとされています。

 

 上野の国は赤城山を背にし、からっ風と雷雨の中で育ち、義理と人情にあつい激情的な性格を有していたとされています。

 

 

その義貞が鎌倉幕府の討幕を命ぜられ、いざ戦へという前日に旗揚げした場所が生品神社です。

 

 

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俺や

 

 

義貞としては嬉しいことに、今でも地元では鏑矢祭という催しが開かれており、地元の小学生たちが袴を羽織って、弓を鎌倉の方角めがけて放つということをやっています。

 

よしよし、義貞も今は徳川の地で見守っているぞ。

弓道や剣道はやはりカッコいいですね、最近は武道をやる子供も減っているのかもしれないけど、ぜひその辺りの日本の伝統を保守してほしいですな。

 

義貞としても、水練に励みたいと思う。

まずは日々のランニングを続けることをやっていきたい。

 

義貞

 

新田三兄弟と南朝?義顕・義興・義宗の戦い? (中世武士選書28)

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